日本では子どもに対する親の権利はかなり強いのが現状です。
はた目から見て首をかしげるような行為でも親が「躾」だと主張すれば、明確な虐待行為が確認されない限り、法律的に親は守られます。
逆にアメリカでは、子どもを守る法律の強制力が強く、13歳未満の子どもを一人にしただけで逮捕されてしまう程です。
今後、日本社会でも子どもを守る法律が徐々に増えていくことでしょうが、それを待っていたのでは手遅れになってしまうこともあるかもしれません。
今回は、躾の意味を考察し、虐待との違いと見分け方を考えてみたいと思います。
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躾の意味とは?
躾とは、「仕付け」とも書き、以下の2つの意味があります。
- (子どもに)礼儀・作法を教え、仕込むこと
- 着物などの縫い目を正しくするために、仮に糸で縫いおさえておくこと
礼儀・作法とは、社会的に超えてはならない言動の壁を超えないための方法です。
ある場面での作法を子どもに無理やり躾けることは可能ですが、子どもが学校に通い始め、社会に出た時、親がいつもくっついて歩いて躾け続けることはできません。
その意味では、子どもの躾も着物の仕付け糸と同じように将来的には外すことを念頭に置いておかなければならないと考えられます。
それでは、将来的に外すことを念頭においた躾とはどのようなものなのでしょうか?
その答えは、「虐待」との違いを明確にすることで出てくるものなのかもしれません。
躾と虐待の違いとは?
新明解国語辞典によれば、「虐待」の意味は、「強い立場を利用して、ひどい扱いをすること」とあります。
大人という社会的に、また物理的な力の上で強い立場にいる親が、弱い子どもに対してひどい行為を行うことをすべて「虐待」と言います。
例えば、あなたよりも身長が2倍近くも高く、体重も重い巨人と同じ家に住んでいたとします。
その巨人が、あなたに理不尽な理由で頻繁に暴力を振るうとしたらどうしますか?
きっと、何とかして逃げ出そうと考えるでしょう。
でも、子どもには「親から逃げ出す」という知恵さえありません。
そこで、なるべく親が怒り狂わない方法を学びます。
虐待されている子どもの視点は、「いかに親を怒らせないか」という一点に集中します。
もし、これが「躾」だとしたら、将来、この躾が外れた時、つまり、親の管理下から自由になった時、その子どもに社会的な礼儀・作法は残るでしょうか?
絶対に残りません。
本当の躾の意味は、将来、その仕付け糸が取り払われた後も社会的に礼儀・作法に誤りのない言動ができるようにすることです。
つまり、子どもの視点は「怒り狂う親」ではなく、「社会」や「周囲の状況」に向けてやる必要があるのです。
礼儀・作法から外れた行為をした時に、もしくは、行為をする前に、親が、なぜそれをしてはいけないのか(または、それをしなければならないのか)という意味を子どもに納得させることが大切です。
じゃあ、具体的にどうしたらいいの?
と言う疑問が沸き起こってきたかもしれません。
そんな方に、読んでほしい本があります。
『むずかしい子を育てるペアレント・トレーニング』という本です。
これは、コモンセンスペアレンティングという手法を用いた子育て法について書かれた本です。
子育てに躓いた時に、また、子どもの成長に合わせて、本当の躾ができるようになるヒントがたくさんつまっています。
詳しくは、上記リンクをご覧ください。
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